金色山大悲願寺( 東京都

所在地:東京都あきる野市横沢
彫師:不明
彫物製作年代:文政10年 1827年

 真言宗豊山派の寺院。建久2(1191)年源頼朝が壇越となり、澄秀を開山として平山季重が創建したと伝えられる。
JR五日市線の踏切から山門が見える。□山門から仁王門を潜ると正面に観音堂がある。寛政六年(1794)建立。その右手□に国重文の木造伝阿弥陀三尊像を安置した本堂がある。元和九年(1623)伊達政宗が秋川の鮎漁に来た時、政宗の末弟秀雄が十三世住職の海誉のもとで修行をしていたため、立ち寄り庭の白萩を愛で、後に一株譲って欲しいと書簡を送ってきた。これが芝居で有名な「千代萩」の元祖だという。本堂は元禄八年(一六九五)の建立。高尾村左衛門次郎久重ほか一二名の大工と一四名の木挽によって造営された。本堂は都指定の文化財。

観音堂は無畏閣といわれ軒まわり四面に彫物がある。特に正面向拝との飛龍と王巵弾琴弾琴と左右欄間の地獄極楽図が見事だ。平成18年に修復され、きれいに彩色されている。正面のほかは蛙股の彫物だが、テーマが多彩であり、彫りも丁寧だ。鶴にや亀に乗った王子喬、黄安などの仙人、二十四孝の土の中から釜が出る郭巨、象が田を耕す大舜、筍を掘っている孟宗、中国の故事の温公甕割りなどのほか、おしどり、燕、鷹、鶴、鷺や馬や兎などの鳥獣など多彩だ。それぞれ施主の札があるので施主の好みだったのだろうか。
彫師は不明のようだが、無畏閣の建立が寛政6年(1794)、その後文政10年(1827)に向拝が取り付けられた。本堂が高尾村の大工が建てているのし、仁王門の格天井の絵は、五日市小庄の住人で、狩野派の絵師・藤原善信が描いている。無畏閣も江戸の彫師ではなく地元や八王子周辺の彫師なのだろうか?
© 2008 Wakabayashi Jun. All rights reserved.