熱田神社( 長野県

所在地:長野県伊那市長谷溝口
彫師:上州田沢 関口文治郎
彫物製作年代:宝暦12年 1762年

創建は明らかではないが、日本武尊が東国遠征のさいこの地に立ち寄り村人の苦難を除いたため、日本武尊を慕った人たちによって尾張国(愛知)の熱田神社から勧請した。南朝の公卿である藤原成文卿の歌に「信濃なる伊那てふ里の片辺にもめぐみあつたの神の御柱」と歌われているので、約680年前には建立されていて、中央にも知られていた。
 旧長谷村を縦断する国道152号から溝口の集落に入った地に鎮座する。鳥居を潜ると左手に舞宮があり、正面の一段高い地に立派な拝殿がある。本現在の本殿は宝暦12年(1762)5年もの歳月をかけて作られた。総欅の三間社入母屋造で地元の棟梁、高見善八の傑作で、彫刻は上州の左甚五郎といわれた関口文治郎有信の作。伊那日光とも呼ばれ、国の重文に指定されている。本殿覆屋は、本殿建立後まもなく建てられと思われる。明治21年従来の部材を多用し再建。四方の柱は四方拝み方式で大きな屋根を支えており、本殿の重文の附指定で覆屋も重文に指定されている。

本殿の彫物は、向拝正面の目貫き龍は後年(享和元年(1801))献納されたものだが彫師不明、それ以外の彫物は関口文治郎と5人の弟子によるもの。様々な彫物があるが、兎の毛通しの鳳凰、脇障子の寿老人と福禄寿は彫物棟梁関口文治郎の作と云われている。腰組の唐子遊びは文治郎得意の題材。向拝柱上木鼻の二体の麒麟、屋根を支える斗は三〜四手先で、それぞれの肘木に唐獅子・象・龍が飾られているが、殊に四隅の隅木を支える獏四体は非常に珍しいといわれている。
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